高部知子を覚えていますか?
1980年代にテレビで活躍していました。
バラエティー番組「欽ちゃんのどこまでやるの!?」で結成された「わらべ」の一員となり、歌も歌っていました。
めだかの兄弟、かわいい曲でした。
その後、非行問題をドラマ化した「積み木くずし」で主演。
すばらしい演技力で一躍大スターになりました。
人気絶頂の時、ベッドでたばこをくわえた姿が写真週刊誌に掲載。
未成年だった高部知子は大バッシングをあび、芸能界を活動を自粛となりました。
あれから40年が経過。
高部知子は今、どうしているでしょうか?
高部知子 経歴やプロフィールは?今はどうしているの?
高部知子(たかべ ともこ)
生年月日:1967年8月25日 2022年現在55歳
出身:東京都
幼少期より劇団に所属、1979年映画デビュー。
その後、プロダクション(ボンド企画)にスカウトされ、1980年、テレビドラマ版の『ガラスのうさぎ』(NHK)に出演。
1982年、テレビ朝日『欽ちゃんのどこまでやるの!?』で「萩本家の愛娘」3人で構成されたユニット「わらべ」の長女・のぞみを演じる。
1983年、穂積隆信の家族で実際に起きた非行問題をまとめたノンフィクションをドラマ化した『積木くずし〜親と子の200日戦争』で主人公・不良少女役を演じる。
出典:Wkipedia
高部知子 喫煙写真流出、ニャンニャン事件とは?
人気絶頂の最中の1983年6月、高部がベッドで裸体に布団を掛けた状態で煙草を咥えた様子を捉えた写真が写真週刊誌「FOCUS」に掲載される。
性行為疑惑と未成年喫煙疑惑が浮上(ニャンニャン事件)
この影響で高部は出演中のテレビ・ラジオ・CM全てを降板。
堀越高等学校を無期停学になり謹慎を余儀なくされる。
この事件によって、「清純な少女タレント」というイメージが壊れてしまった。
出典:Wkipedia
写真流出は、高部知子の元カレ(当時18歳)が写真を提供したことが判明。
のちに元カレは、ストレスから自殺。
なんとも悲しい出来事です。
事件から30年ほどたったある日、高部知子は、当時のことをテレビで話しています。
当時15歳だった高部知子。友達とふざけて積み木ごっこをしていた。
遊びがエスカレートをして上着を脱いでたばこをくわえて写真をとった。「そのほうが積み木くずしらしくなる」と遊びの延長でのこと。
決して性行為や喫煙があったわけではなかったのです。
ところが「ニャンニャン写真」としてマスコミに流出、連日メディアで大々的に放送されることとなり、取り返しがつかない状況になってしまった・・・。
元カレに加えて芸能界で仲良くしていたアイドルの友人も自殺。
高部知子は、精神的に不安定な状況に陥りました。
高部知子 結婚は?子どもは?
1984年 高部知子は芸能活動に復帰するが大きなヒットはせず。
清純派で芸能界に戻れると思っていましたが、世間の目は厳しかったのです。
停学処分だった堀越高校に復学しました。
高校卒業後、22歳で幼馴染と結婚。高部知子を精神的に支えてくれた幼馴染でした。
団地暮らしとなり夫婦でコンビニエンスストアを経営。
結婚直後に出産した長女に心臓の奇形が見付かったことをきっかけに、芸能界からの引退と育児への専念を決意。
数年後、次女が生まれるが、ほどなくして夫と離婚。(夫の浮気が原因だったとか?)
別の男性と結婚するも二度目の離婚。
子どもを連れて2度の離婚、高部知子の心はパンクしていた、または限界だったと推察しています。
健全な結婚生活を送ることが難しかったのでしょう。
高部知子 慶應義塾大学へ入学、哲学を専攻。
ニャンニャン写真流出後、高部知子は何度も自殺未遂をはかっていました。
その時、唯一高部知子に寄り添って話を聞いてくれたのが、堀越高校時代の北村先生だったとテレビで語っています。
北村先生のお陰で、高部知子さんは自己肯定感を取り戻し、人生に前向きになれたのです。
希望を与え続けた北村先生、素晴らしい先生ですね。
北村先生は、高部知子さんと反省ノートのやり取りにおいて、高部さんと本音で語り、高部さんを励まし続けました。
高部知子は、人が生きる意味を問いながら、慶応大学通信教育学部で学ぶ道を考えはじめました。
2000年に慶應義塾大学文学部(第1類)(通信教育課程)へ入学、哲学を専攻。
子育てしながらの勉強は大変だったと思います。よくがんばりました。
高部知子 現在は?まとめ 精神保健福祉士として講演会も開催。
高部知子は、慶応大学で哲学を専攻して勉学に励み、卒業後の2007年、東京福祉大学精神保健福祉士養成コースに入学→修了しました。
子育てしながら猛勉強を続け、国家資格の精神保健福祉士を取得。
精神保健福祉士は、精神科クリニックや保健センターなどで心の病を発症した人への福祉的支援、援助をする仕事です。
高部知子が言うには「自分のように不器用にしか生きられない人」への支援員として心に寄り添い活躍中です。
共に生きるをテーマに全国で講演会活動もしています。
心が折れそうな時、折れてしまった後でも、誰かが話を聞いて寄り添ってくれると、不思議なことに心の健康は回復できるのですね。
厳しい芸能界で激しいバッシングを浴び傷ついた高部知子、でも傷ついた人を救うのもまた人なんですよね。
高部知子は、心優しい支援員として今日もまた悩める人に寄り添い、支援をしていました。
娘二人も20代となりおだやかに暮らしていました。
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