作詞家 来生えつこ。
昭和から平成にかけて薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」中森明菜「スローモーション」「セカンドラブ」など。
作詞を手掛けて大ヒットを飛ばす。
そんな来生えつこですが、親の介護に追われ、仕事もままならない日々が続いていました。
今、一体どうしているのでしょうか?
来生えつこ 介護7年、奔走した日々。
来生えつこは、夫と両親と長年二世帯住宅で暮らしていました。
1995年、父親の異変を感じます。
脳梗塞でした。
ただし気づくのが遅く父親が失明。
来生えつこの在宅介護が始まります。なんと7年も介護に奔走することに。
仕事をセーブして介護、弟の来生たかおも仕事の合間に、
父親の通院に同行したり送迎を手伝っていました。
どんな著名人でも介護のストレスは一般人の私たちと同じです。
実の親子だからこそうまくいかない介護。
母親との生活環境の違い、介護ストレス。
そして父親の看取りまで、来生えつこは7年間もの歳月を親の介護に費やしました。
その当時の様子を書籍にまとめて2002年に発売しています。
他にも読売新聞で介護の連載記事を書いたり、2002年の婦人公論でも自身の介護について赤裸々に語っていました。
実体験を公表することで介護に悩む中高年女性を勇気づけました。
もともとエッセイストでしたから、本の出版なども抵抗なく進んだことでしょう。作詞家とはまた違った一面をもつ来生えつ子。
来生えつこと来生たかおは夫婦?
来生えつこと来生たかおは、夫婦ではありません。
姉弟の関係です。
1980年代、「セーラー服と機関銃」が売れに売れ、よく夫婦と間違えられました。
来生えつこと来生たかおは、2つ違いの姉弟。
姉が作詞、弟が作曲と歌。
何とも珍しいパターンですが、この姉弟の名コンビで、1980年年代を中心に数々のヒット曲が誕生しました。
才能豊かな姉弟の共同制作。
来生たかおのピアノ弾き語り。
穏やかで心地よい曲調が大好きな私です。
来生たかおの名曲、GOODBYE DAY
作詞 来生えつこ
来生えつこ プロフィール
1948年3月9日 東京都出身。
2022年現在、74歳です。
東京都立豊島高校から女子美術短大へ進学して卒業。
編集者をしながらフリーライターをしていたが、弟の来生たかおの曲に詞を付けるようになり、プロの作詞家に。
弟とのコンビは多くのヒット曲を生み、ニューミュージック界を代表するゴールデン・コンビの一つとして知られる。
小説家、エッセイストとしても活動。多彩です。
出典:Wkipedia
写真は1991年当時の来生えつこ。
来生たかおがテレビ出演(徹子の部屋)で紹介したもの。
当時は、40代。作詞家としてバリバリ活躍していました。
来生えつこと中森明菜
ヒット曲を次々と作詞した来生えつこですが、中でも中森明菜への楽曲提供が際立っています。
中森明菜のデビュー曲、スローモーション。1982年発売。
来生えつこ、来生たかおの姉弟コンビ、名曲の1つ。
なんとも切ないラブ、バラードです。
♪出遭いはスローモーション
軽い目まい、誘うほどに
出逢いは、スローモーション
瞳の中 映る人
こんな歌詞がさらりと書ける来生えつこ。
恋のはかなさ、せつなさも。
しっとりした歌詞から読み取れますね。
以後、セカンドラブ、トワイライト~夕暮れ便り~、サザン・ウインド等。
中森明菜には10曲以上も提供しています。
今は芸能界から消えてしまった中森明菜ですが。
当時はすごく人気があり連日テレビ出演していました。
スローモーションの後に発売した「セカンド ラブ」
まだ17歳の中森明菜が歌うには、いささかヘビーな曲だったようですが、中森明菜はしっかり歌っていました。
中森明菜、またぜひ来生コンビの名曲を歌ってほしいものです。
来生えつこ現在は?
2022年現在、年齢的なこともあり表立った活動はしていませんが、マイペースで生活されているようです。
来生えつこさん、どうかこれからもお元気で。
以上、来生えつこさん情報でした。
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